この曲が心地よい!

ふと知り合った、自分に心地よいメロディー それらを紹介しています そしてときどきガーデニング、のつもりがガーデニングがメインになっています。

レスターヤングとビリーホリディ

ビリー・ホリディの歌を

聴くにつけて、忘れてならないのは

レスター・ヤングという人です。

その辺のところの

聞きかじったお話を・・。

 

 

レスター・ヤングとは?

レスター・ヤングは

アメリカのテナーサックス奏者で、

主としてカウントベイシー楽団で

活躍した人です。

 

幼いころから父より

様々な楽器の手ほどきを受け

やがて父を代表とする

ファミリーバンドで

地方を巡業するようになります。

この頃はドラムを叩いていたようです。

 

父親の指導は厳しいもので

やがて彼の母親は、家を出ていって

しまうのでした。

 

そしてまた、彼も

父のもとを離れるのです。

 

いくつかの楽団に所属したのちに

彼はカウントベイシー楽団に

入団することになるのです。

 

兵役時代に人種差別などを受け

心身に不調をきたしてからは、

お酒や薬物に溺れるようになり

1959年の3月15日に

49才で亡くなるのです。

 

ホリディとの出会い

カウントベイシー楽団に

籍を置いていた1930年代中頃に

ヤングはビリー・ホリデイと

知り合います。

 

幼い頃の境遇が

よく似ていたからか、

やがて二人は精神的な繋がりを

深めていきます。

 

お互いを尊敬を込めて

「レディ・デイ」、

「プレス」と呼びあったといいます。

 

キリスト教の世界では、

レディというと、

聖母を指すのだそうですが、

その受胎告知の祝日を

「レディ・デイ」と言うそうです。

プレスはプレジデントの

略だということです。

サキソフォニストの代表という

意味合いだそうです。

 

彼らがどれほど

尊敬しあっていたか、

また拠り所としていたかが

わかる逸話とされています。

 

レスター・ヤングのお葬式のとき、

レスターの奥さんは、

葬送の歌のためにかけつけたビリーに

歌を歌わせなかったそうです。

同年7月に、ビリーは亡くなるのでした。

 

※逸話の出典は「ビリーホリディ自伝」

奇妙な果実―ビリー・ホリデイ自伝 (1971年)

奇妙な果実―ビリー・ホリデイ自伝 (1971年)

 

 

彼らの作品

その二人の共演が

収められているアルバムが

「Lady Day」です。

レディ・デイ

レディ・デイ

 

前半のテナーサックスは、

ベン・ウェブスター

後半のテナーサックスが

レスター・ヤングです。

 

ヤングの、冷静でお洒落な雰囲気の

演奏スタイルは、クールと呼ばれ

人気があったようです。

 

一方の、ウェブスターは、

硬くとがった、唸るような

演奏スタイルであったようです。

 

この一枚で、両者を聴き比べても

違いを見つけることは

私にはできませんが、

そう思って聴くと

なんとなく違っているような

気がしますから

おかしなものです。

 

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一応、レスター・ヤングの

サックスということになるんだと思います。

 

彼ら2人に

コールマン・ホーキンスを加えた3人を、

スウィング期の三大テナーと

呼んでいるようです。

 

アルバムの収録曲

この12曲ですね。 

Miss Brown To You

I Wished On The Moon

What A Little Moonlight Can Do

If You Were Mine

Summertime

Billie's Blues

I Must Have That Man!

Foolin' Myself

Easy Living

Me, Myself And I

A Sailboat In The Moonlight

I Cried For You

最後の「I Cried For You」 を聴いてみましょう。

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この動画のサックスも

レスター・ヤングだと

思われます。

 

まとめ

まとめと言っても

まとめるほどの内容もなかったですね。

申し訳ない。

 

ただ、ビリーの声にはツヤが

レスターのサックスにはハリが

あるように感じてしまいます。

 

もちろん、

聞きかじった知識のせいだ

と思いますけど

 

どうも最後までありがとうございました。

でわ、また。