京都は鷹峯というトコロに、
源光寺というお寺があります。
そちらに、紅葉を見に行きました。
東西線二条駅から
市バス6系統ですね。
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こちら方面は
行ったことがありません。
「悟りの窓」、「迷いの窓」からの
お庭の紅葉を見に行ったのですが、
残念なことに
という状況でした。
半年も前から拝観休止だったとは。
おそらく十分に周知は
されていたのでしょうけれども
思い付きで行動するわたスには
何の意味もなく・・・。
再来年の秋まで
「窓」はお預けです。
わたスたちの他にも
何組かの観光客が
残念そうにしていました。
門だけでもと、
撮った写真がこれです。
紅葉もキレイでした。
鷹峯くんだりまできて、
手ぶらで帰るわけにはいかないと、
近くの光悦寺にも寄りました。
っていうか、初めから
行くつもりだったのですけれど。
ここには、守衛さんが何人もいて、
入り口から門までの写真は、
NGですが、門から先はOKです、
といわれました。
なぜでしょう?
混むからでしょうか?
で、門から奥の方の写真がこれです。
門を潜った先も
入り口から門までと同じように
綺麗で趣のある参道でした。
全部が紅葉なのではなく、
赤、黄、緑と3色揃った
この頃の紅葉がなかなかオツだと
私は思いますが、皆さんはどうでしょう?
そんなヤツをもう一枚。
散り紅葉も
なかなかによろしいですね。
光悦寺のある辺りは、
徳川家康が本阿弥光悦に
野屋敷として与えたものだそうです。
そこに本阿弥一族が移り住み、
集落を形成し、
先祖を供養した位牌堂が
お寺となったとのことでした。
宮本武蔵は、蓮台野での
清十郎との戦いの後に、
本阿弥光悦の屋敷に逗留しています。
(マンガのバガボンドではですが)
地図を見ると、
佛教大学紫野キャンパスの
東側に蓮台野という町名を
見ることができますから、
その辺りだとすると
すぐ近くになりますね。
つまり、この界隈に、
武蔵がいたことになります。
そして、もしかすると、
同じように鷹峯三山を
眺めていたのかもしれないですねえ。
まあ、フィクションですから、
んなこたあ、ないんですが。
これは、鷹ヶ峯。
ドウダンの赤が鮮やかでした。
ところで、先ほどの
武蔵の話に戻りますが、
吉川英治の話では、
光悦の屋敷に逗留していた時に、
吉野太夫という遊女が登場します。
吉野太夫というのは
名跡(みょうせき)で、
10代続いたといわれていますが、
その2代目縁のお寺が、
近くにあるというので
そちらにも寄りました。
お寺の名前は「常照寺」といいます。
なんでも、吉野門といわれる門があって
それは、吉野太夫が寄進したのだそうです。
これです。
諸芸に秀で、信仰も厚かったといいます。
お墓もこちらにあります。
紅葉も綺麗でしたね。
赤一色のモミジ。
ですが、ここでもやはり
わたスの目を引いたのは3色です。
吉野太夫が好んだといわれる
丸窓ですね。
真円でなく、下の方が
直線になっているところが
ミソなのだそうです。
清十郎との戦いは、
バガボンドでは
22巻あたりですが、
吉野太夫は出てきませんね。
小次郎との出会いがメインです。
紅葉でなく、武蔵の足跡を
辿る話になっちやいましたね。
とにかく、リフレッシュできた
お出かけでした。
でわ、また。