こんばんは。
若狭のお寺巡りも
3回目になりました。
その3は、「明通寺」です。
現「国宝」の建造物があります。
へへっ。
このパンフレットには、
延暦のむかし、この山中に一大棡樹(ゆずり木)あり、その下に世人に異なる不思議な老居士が住んでいた。たまたま坂上田村麻呂公、ある夜、霊夢を感じ老居士の命ずるままに天下泰平、諸人安穏のため、大同元(808)年このところに堂塔を創建し、居士また棡の木をきって、薬師如来、降三省明王、深沙大将の三体を彫って安置したと伝う。
と書いてありますね。
このころは「田村麻呂」は
平城天皇の側近だった
ということですから、
お寺の一つや二つ、
何てことなかったんでしょうか。
本堂、三重塔は、国宝。
本堂に安置されている
縁起にも名前の出てきた
三体の仏像と不動明王像が
重要文化財ということです。
駐車場からすぐの橋を渡ると
案内文字の彫られた石が
お迎えしてくれます。
指示にしたがい左に曲がると
山門と階段が見えてきました。
ああ、やっぱり上るのかい。
まだあるよね。
ようやく上ってふり返ると
2本の杉の間から、
山門がコンニチハ!
山門は市指定文化財だそうで。
鐘楼もありました。
お寺の人によると、
お参り前に心静かに
鐘を撞くと良いそうです。
ようやく本堂が見えてきました。
ふと、目を横にやると
紅葉した木が見えます。
そうそう、紅葉を見にきたのでした。
文化財巡りにきたわけでは
なかったのですなあ。
まあ、みなさん好きだから
別にいいんですが。
ふむふむ、1258年に
再建されたとありますね。
およそ700年前ともあります。
今ならおよそ800年前と書いても
JAROには怒られんでしょう。
国宝の本堂です。
何か圧を感じましたね。
気のせいか。
いや、確かに何かを・・。
縁起に登場した薬師如来。
降三省明王と深沙大将。
いずれも「國宝」の文字の上に
「旧」と加えられているでしょう。
今回、やたらと「旧国宝」と
表示された文化財を目にしたので
少しお勉強してみました。
現在の文化財保護法が施行されるまでは
国の指定した有形文化財は
全て「国宝」と呼ばれていたようです。
そして、文化財保護法施行後は、
一旦全てが「重要文化財」となり、
そのうち特に価値の高いものが
「国宝」に指定されたのだそうです。
言葉だけで判断すると、
国宝から重文に格下げされたように
聞こえますよね。
実は違うんですね。
とはいっても、
「国宝」の重みは
大きいということなんでしょう。
で、その国宝の回廊の壁。
国宝の軒。
自由に出入りできるんですよ。
国宝に!
ビックリです。
次なる国宝に向かいます。
また上らねばならんのです。
こちらも1200年代の再建です。
細かい作りですねえ。
すごい技術だと思います。
せっかく高い所まで上ったので
しばらく周りの景色を
眺めていました。
葉を落とす広葉樹が増えてきたなか
この辺りはまだ、秋ですね。
帰りの階段を下っていくと
往きには気が付かなかった
花が、目にとまりました。
山茶花でしょうかね、
キレイに咲いてました。
最後は樹齢500年という
市指定天然記念物「かやの大木」を
見て帰りました。
この幹の太さだと
碁盤がいくつ
とれるんだろうなどと
考えちゃいましたが、
バチが当たりますね。
葉っぱがイチイに似ているなと
思いましたら
イチイ科なんですね。
日本最大のものは
福島県桑折町にあるそうで
樹齢900年だそうです。
これで3つのお寺巡りの話は
終わりです。
明通寺のパンフレットについていた
簡易地図を見てみましょう。
今回巡ったのは
太赤線の3つです。
近いでしょう?
このほかにも
たくさんのお寺があるんですね。
「若狭」は朝鮮語の「ワカソ」
(往来するという意味らしいです。)が
訛って宛字された地名で、
「奈良」も朝鮮語の「ナラ」
(都という意味)が訛って
宛字されているんだそうです。
※若狭神宮寺のパンフレットから引用
つまり大陸と当時の都の
中継地点の一つだったと
言うことらしいですね。
また行こうと思いました。
でわ、また。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。