昨日に引き続き、
若狭のお寺巡りです。
その2は「若狭神宮寺」。
創建はパンフレット ↑ によると
714年とされていますが、
現在の本堂は、雷で焼失したものが
1553年に再建されたものだそうです。
そして、再建した人物は
なんと、今「麒麟が来る」にも
登場している朝倉義景なんですって。
失礼かもしれませんが、
ユースケ・サンタマリアの
イメージが頭にちらついて、
厳かな神社の雰囲気を
妙にコミカルなものに
変えてしまうのでした(笑)。
この本堂は旧国宝で、現在は、
国指定重要文化財となっています。
駐車場に車を止めると、
階段の奥にその本堂がみえます。
発色の良いモミジが見えますね。
紅葉、早く見たいじゃないですか。
ところがこの階段、
何があったのか
進入禁止になっていました。
本堂の右側に回り込むよう
案内が出ています。
つい、足の運びが
早くなってしまいました。
つまり、こうです。
ニナシモネ画伯渾身の解説図
若狭神宮寺のある一帯は
神宮寺という大字名で、
かなり昔からこのお寺を中心に
門前集落が形成されていたことを
示していることになるようです。
回り込んだ先には、
神宮寺を紹介する
看板が設置されています。
奈良の東大寺へお水送りを
しているお寺でもあるんですね。
表門の屋根に積もる
散りモミジが
とても印象的でした。
この表門、桃山時代のものと
パンフレットには
書いてありました。
その表門の屋根に
モミジを降らしていたのは
この木ですね。
そして、境内に目を向けると
見事に赤くなったモミジが。
樹齢を感じさせる幹の苔。
散ったモミジで
埋め尽くされる境内。
きれいな葉っぱです。
ここの紅葉は、
素晴らしかったですね。
オレンジ色を被った
茶室の建物も
なかなかの趣があります。
このモミジが
駐車場から見えたようです。
本堂に目を向けると、
お水送りを前面に主張する
柱がありました。
本堂回廊からみた、
本堂周りのモミジ。
そして本堂全景。
最盛期には、
七堂伽藍二十五坊を有していた、
といいます。
ところが、豊臣秀吉の時代に
寺領没収の憂き目に遭ったほか、
明治時代初頭の廃仏毀釈により
社殿を壊されてしまい、
今の状況になったようです。
豊臣秀吉の関係で言えば、
神宮寺の庇護者だった
若狭守護武田元明の妻、
松の丸という人は
のちに秀吉のお妾さんに
なったという話もありますね。
武田サンは明智光秀と
懇意だったとか言いますし。
なんなかなあ、
ですねえ、戦国時代。
でわ、今日はこの辺で。
最後のお寺はその3です。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。